別子一号もなか:愛媛県新居浜市
銅山鉄道の蒸気機関車
元禄3年(1690年)に別子山村で銅の鉱脈が見つかり、翌年から採掘が始まりました。それから300年近くに亘り様々な苦難を乗り越え、掘った鉱量は約3,000万トン、銅の量は約65万トンにも及びました。当時の泉屋は住友と名を変え、新居浜の町や港は栄えました。明治23年には銅山鉄道が開通し、ドイツ製の蒸気機関車が導入されました。それが別子一号です。
山中の銅山跡地にはマイントピア別子という観光施設があり、さらに奥には東洋のマチュピチュと形容され、世界遺産登録を目指す東平(とうなる)の採鉱本部跡があります。道が狭く大きめの車がすれ違えないため、先導車付きのマイクロバスで行くガイド付きのツアーがマイントピアから出ています。他にも新居浜インターから2kmほどの山根公園には、昭和初期に住友社員が奉仕作業で作ったという石積観覧席があり、その後ろには銅山廃棄物の再利用を試みた山根精練所の煙突も見えます。
山根公園に隣接する大山住神社の境内には別子銅山記念館があります。神社の階段を上ると左手に別子一号蒸気機関車、右手にサツキに覆われた半地下の記念館があります。住友グループが建設、運営しており、無料で見学できます。四層のフロアを下へ進む作りで、鉱石標本や古文書、道具、坑道模型などの展示の他、歓喜の陽光(ひかり)と名付けられた仕掛けがあり、幕府から採掘許可が下りた5月9日に天窓から太陽光が直接差し込むというものです。この為に訪れる人たちもいて、館内の灯が消され、光を手に受けたりして静かに祝うのだそうです。
2022年10月最中旅
画像2:別子一号蒸気機関車
画像3:山根公園の石積観覧席と山根精練所の煙突
最中暦:5月9日
別子銅山開坑記念日
1691年(元禄4年)5月9日に幕府より稼行許可、同年9月採鉱が開始された