辨慶の釜:和歌山県田辺市
弁慶の産湯を沸かした釜
紀伊田辺の駅を出るとロータリーにある高い台座の上に薙刀を構えた僧兵の像が立っています。弁慶です。弁慶の生い立ちについては、生まれた時に2、3歳の体格だったとか、髪と歯が既に生えていたとかの伝説レベルの話しか伝わっていませんが、田辺市はこの地こそが生誕地であると主張しています。
根拠となるのが、弁慶の父とされる熊野別当湛増(たんぞう)の存在でしょうか。源平合戦の際に双方から熊野水軍を出すよう湛増に要請が来たため、紅白の鶏7羽ずつを闘わせ神にお伺いを立てた結果、源氏に付いたとの故事があります。駅から徒歩で10分もかからない場所に鬪雞神社があります。熊野三山の別宮であり、社殿がいくつも連なり、神社の前には馬場が未舗装の道として残っています。こちらには弁慶の産湯を沸かしたとされる釜が残っています。
田辺市は南方熊楠(みなかたくまぐす)の出身地でもあります。博物学の先駆者であり、変形菌類・地衣類などの研究者の代表格で、鬪雞神社の裏山でフィールドワークを行い、地域の自然保護にも情熱を注いだ人物です。鬪雞神社から徒歩で8分ほどの場所に顕彰館があります。研究の概要がコンパクトに展示され、隣りには熊楠氏の邸宅と庭園が保存されています。田辺市は白浜市に続く美しい海岸や海水浴場もあり、合気道の開祖である植芝盛平氏の出身地でもあります。
2023年11月最中旅
画像2:闘鶏神社内の湛増と弁慶の像
画像3:社殿が並ぶ闘鶏神社
最中暦:3月3日(旧暦)
弁慶誕生
仁平元年(1151年4月22日)に誕生したと伝わる