稲むら最中:和歌山県広川町
世界津波の日制定の由来
嘉永7年(1854年)11月5日、安政南海地震の大津波が紀伊半島を襲いました。広川町の広村では夕方暗くなってから津波が押し寄せ、村人たちは暗闇で大混乱。すると丘の上にあった収穫したばかりの稲を積み上げた稲むらに火が付けられたのです。村人はその火を目印に丘に逃げることができました。この話を元に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が書いた小説は国語の教科書にも載る防災教材となりました。
実話において火をつけた人物は濱口梧陵氏、ヤマサ醤油の7代目です。その後、津波で家や職を失った人々の救済を兼ねて、私財を投入して堤防を建設しました。今も残る広村堤防です。堤防の近くには浜口梧陵記念館と津波防災教育センターの「稲むらの火の館」があります。記念館は無料で、勝海舟や福沢諭吉とも親交があった梧陵の人生を紹介しています。防災センターは入場料500円で、広い無料駐車場があります。
隣町の湯浅町は醤油の発祥地です。ヤマサ醤油は千葉県銚子市に移ってしまいましたが、湯浅町には工場見学ができる湯浅醤油があります。尚、広村堤防へ行くには湯浅駅が最寄り駅です。新しくなった駅舎の観光案内所にはレンタサイクルがあり、駅の隣には旧駅舎が保存されていて飲食店が入っています。
2023年11月最中旅
画像2:浜口梧陵が築いた広村堤防
画像3:湯浅醤油
最中暦:11月5日
世界津波の日
嘉永7年(1854年)濱口梧陵が稲むらに火を放ち、津波から村人を救った