高天神最中:静岡県掛川市
信玄が落とせなかった山城
鎌倉時代に砦が築かれたと伝わっており、今川没落後に徳川の城になりました。武田信玄が攻めきれなかった高天神城を、子の勝頼が落として名を上げましたが、その後徳川は補給路にある城を悉く攻略し、兵糧攻めにて高天神を奪還します。そしてこの2回目の戦いに援軍を出せなかった勝頼はその名声を失うこととなったのです。
続日本100名城に選ばれて、道案内の看板や駐車場が整備されました。追手門(おうてもん=大手門)側の駐車場よりも、高天神社の参道になっている搦手(からめて=城の裏)側のほうが広いです。木の根が浮き出た曲がりくねった急坂が続き、曲輪や櫓跡からの眺めはいいのですが、その外は木々に隠された断崖です。本丸には元々天守は無く、今はいくつかの石碑があるのみ。御前曲輪には一時期建っていた模擬天守のコンクリートの基礎が無粋にも残っています。搦手側に下りると、行く手に見上げるような石段が現れます。高天神城が廃城になってからも地元の人の心の拠り所となっていた高天神社です。
天神社の横の馬場平は遠州灘が見える展望台になっていて、その端には、行った者は必ず断念して引き返すという横田甚五郎の抜け道が戦の名残りを留めています。まさに中世の山の砦感を満喫できる城です。御城印は掛川駅南口構内の観光協会ビジターセンターで入手できます。スタンプは大東北公民館で、両門の案内看板のあたりに案内の印刷物が置いてあります。
2021年2月最中旅
画像2:追手門から櫓跡への道
画像3:追手門側の高天神城遠景
最中暦:3月某日
家康が武田勝頼より高天神城を奪還